​当寺院につきまして

■戦時中、戦争のない村づくりを夢に満州へ海を渡った青少年86,530余名の満蒙開拓青少年義勇軍の慰霊の地として建立された日蓮宗寺院です。その昔、お釈迦様は長年に渡り多くの教えを説かれました。その教えの中から、最高の教えである法華経の教えを弘めようとされたのが日蓮宗の開祖、日蓮聖人であります。お釈迦様の教えであり、日蓮大聖人の本願『法華経の弘通』の精神の下に、この地に多く先師先哲がいたことを後世に伝える為、この水戸の地において日々勤めております。

人との繋がりが薄れつつある現代、何を信じられるのか、何を頼れば良いのかを問われる世の中となって参りました。心の拠り所として頼れる寺院、信じられる寺院がこの本法寺別院であります。お時間が御座いましたら是非一度、本法寺別院に足を運んで頂き実感して頂けると幸いでございます。

​歴史

水戸市河和田町の周辺は、満州開拓義勇軍によって開拓された地域であります。
この為、この地域の開拓者の一人である八鍬久治氏(現 本法寺別院住職の父)は、御両親の法華経信仰を受け継ぎその当時、苦労を共にしてきた入植仲間や、開拓途中で悲惨な最期を遂げた先達諸氏、開拓従事後満州の異国にて命を落とした英霊の御供養をしていました。その心の拠り所として自有地を役立てて頂きたいと、東京都墨田区・本法寺住職・田島教也上人へ奉納したところ、その心に感動し、本法寺別院を昭和59年10月6日に満州開拓の慰霊の寺院として建立されました。

​住 職 経 歴

【氏 名】
ヤクワ ギョウジョウ  
八鍬 行誠
【生年月日】 
昭和25年2月1日  
【住職歴】  
41年
【経歴】
昭和48年第2期信行道場終了
日蓮宗僧侶の資格を取得
平成10年 大荒行堂参籠成満
伝師相承・修法師範 取得
【現 職】
日蓮宗茨城県修法師会長

拓 魂 碑

極 楽 世 界 墓

五族協和、王道楽土、満州国建設の大志を抱いて民族を超え、戦争のないすばらしい村づくりを夢に海を渡った青少年、その数86530余名「丈夫で仲良く仲良く迷わずに」の教訓を旨として鍬の柄を肩に勇壮なるラッパ鼓隊に送られて渡満!嗚呼!戦争という極限の中で昭和20年8月9日未明、そのすべては壊滅、多数の青少年が大志半ばにして満州の地に歿したる惨、言葉もなし爾来40有余年の星霜が流れ彼らの前に香を手向ける人もなく一輪の花もなし!嗚呼!且て彼らの農事訓練の場として河和田の此の地、百町歩余こそは己々の心に忘れるる事の出来ぬ農業の尊厳さを刻み込まれたであろうに、今この因縁深き地の本法寺の境内に彼らの勇気を永久に称へると共に散った多くの同志の霊を慰むるため生き残りたる我等相寄り諮りて拓魂碑を建立し後世に傳へるものなり。


平成3年 8月8日      建立委員会

 「極楽世界」は、元満州開拓青少年義勇軍をはじめ満州開拓関係殉難者の御霊を祀る納骨墓所として中国黒龍江省哈爾濱市郊外に建立した「日本人公墓」を日中国際事情や現地人民への心情的配慮から改称して現地2002年春まで立てられていたものです。
その後「極楽世界」の名が中国墓園環境に馴染まないことと、また、当墓所の永久供養を維持する目的により中国様式の新名称を刻した石碑に立て替えて現地で維持管理されることになりました。
この経過をうけて、これまでの「日本人公墓」「極楽世界」の石碑は日本国内に持ち帰ることができました。現状では叶えられない遺骨帰還になぞらえて鄭重にこれを迎え入れ満州開拓発祥の地、内原訓練所河和田分所跡地の本院に安置できたことにより,史実保存とともに犠牲者の永遠なる鎮魂供養の場にふさわしい霊域の顕現を希うものです。
平成15年 4月吉日    極楽世界世話人